寝過ごしはせぬかと二三度耳を振って家内の容子を窺うと、しんとして昨夜のごとく柱時計の音のみ聞える。 買う方だって頭を敲いて品物は確かかなんて聞くような野暮は一人もいないんですからその辺は安心なものでさあ。 なぜ帯をしめて出て来ん それだから千金の春宵を心も空に満天下の雌猫雄猫が狂い廻るのを煩悩の迷のと軽蔑する念は毛頭ないのであるが、いかんせん誘われてもそんな心が出ないから仕方がない。 畳数にしたら四畳敷もあろうか、その一畳を仕切って半分は流し、半分は酒屋八百屋の御用を聞く土間である。 狡猾になるのも卑劣になるのも表裏二枚合せの護身服を着けるのも皆事を知るの結果であって、事を知るのは年を取るの罪である。 寒月君は東風君に向って君はあの金田の令嬢を知ってるのかいと尋ねる。 　ふと眼を開いて見ると主人はいつの間にか書斎から寝室へ来て細君の隣に延べてある布団の中にいつの間にか潜り込んでいる。 長どんと併んで……君は呉服屋の話をするのか、人売りの話をするのかそうそう人売りの話しをやっていたんだっけ。 老人に碌なものがいないのはこの理だな、吾輩などもあるいは今のうちに多々良君の鍋の中で玉葱と共に成仏する方が得策かも知れんと考えて隅の方に小さくなっていると、最前細君と喧嘩をして一反書斎へ引き上げた主人は、多々良君の声を聞きつけて、のそのそ茶の間へ出てくる。 頭だけで評すると何か緞帳役者のようにも見えるが、白い小倉の袴のゴワゴワするのを御苦労にも鹿爪らしく穿いているところは榊原健吉の内弟子としか思えない。 何の事あない毎日少しずつ死んで見るようなものですぜ、奥さん御手数だがちょっと起していらっしゃいと催促すると細君は同感と見えてええ、ほんとにあれでは困ります。 そんな事を聞くだけの価値のある人物でしょうか多々良君は聞かぬ先からすでに寒月以上に構えている。 東風さん、これは決して得意のものではありませんが、ほんの座興ですから聴いて下さい是非伺がいましょう寒月君もついでに聞き給えついででなくても聴きますよ。