それじゃ盗難の時刻は不明なんですなと云うと、主人は例のごとき調子で しかし三口となるといかに本能的に鼠を捕るべく予期せらるる吾輩も手の付けようがない。 黒足袋が一足 主人ばかりではない、細君も寒月も申し合せたように首をひねってちょっと考えて見る。 満身の力を毛穴に込めてこの怪物を振り落とそうとする。 多感多恨にして日夜心神を労する吾輩ごとき者は仮令猫といえども主人以上に休養を要するは勿論の事である。 よほど独創的な想像力がないとこんな変化は出来んのである。 大根卸し、摺小木が並んで懸［＃ルビのかは底本ではけ］けてある傍らに火消壺だけが悄然と控えている。 何気なくこれを囲炉裏の傍へ置いたから、その中を覗いて見ると――いたね。 おやじといっしょに油町から通町へ散歩に出ると、向うから大きな声をして女の子はよしかな、女の子はよしかなと怒鳴ってくる。 幸にして苦沙弥先生門下の猫児となって朝夕虎皮の前に侍べるので先生は無論の事迷亭、寒月乃至東風などと云う広い東京にさえあまり例のない一騎当千の豪傑連の挙止動作を寝ながら拝見するのは吾輩にとって千載一遇の光栄である。 ねえ、寒月君、それだから、失恋でも、こんなに陽気で元気がいいんだよと主人が寒月君に向って迷亭君の失恋を評すると、寒月君はしかしその娘が丸薬缶でなくってめでたく東京へでも連れて御帰りになったら、先生はなお元気かも知れませんよ、とにかくせっかくの娘が禿であったのは千秋の恨事ですねえ。 世の人に似ずあえかに見え給う 大根卸し、摺小木が並んで懸［＃ルビのかは底本ではけ］けてある傍らに火消壺だけが悄然と控えている。